中西さとしについて〈私の好きなもの〉

 

オートバイ

◆28歳で中型自動2輪免許を取得、ホンダCB250T、XL250S、カワサキFX400、ヤマハRZ250RRと乗り継ぎ、東京時代に通勤と奥多摩、千葉、神奈川方面にツーリングを楽しみました。

◆東京を引き上げる際には女房に二人の子供を預け、女房は飛行機で宿毛へ帰り、私は一人でヤマハRZ250RRに乗って宿毛へ帰り家族のひんしゅくをかってしまいました・・・。

◆宿毛へ帰ってからはトレールバイクのヤマハTTR-250で幡多の林道を走ったり、ホンダTLR-200でトライアル遊びもやりました。
平成16年に大型二輪免許を取得し、カワサキ900ニンジャを乗っていましたが、年と共に前傾姿勢がきつくなり、5年ほど前からハーレー・ダヴィットソン・スポーツスター1200と、近場を走るのにホンダ・ズーマ125に乗っております。

◆また最近、ロードバイクと呼ばれる自転車を購入し、単独で走り回っております。

 

釣り

◆漁業をやっている間は興味がなく、県会議員になってから始めました。
友人に初めて船釣りに連れて行ってもらい三十数センチのグレを釣った時、おもわず「こんな太いグレを釣ったのははじめてだ」と言ってしまい・・・漁業従事者ではあっても漁師ではなかった事がばれてしまいました。

◆今では年に数回船釣りに行っております。

 

 

 

 

 

 

私の好きな場所:モニュメント・バレー(アメリカ)

■私がアメリカ西部が好きなのは、子供の頃から西部劇映画を見たり、西部劇の漫画も好きだったせいでしょう。そこに出てくる広大な砂漠の風景に惹かれました。
■最初はカリフォルニア州ロサンゼルス周辺の砂漠、グランドキャニオンの広大な風景、最も好きなのは西部劇映画に一番多く出てくるモニュメントバレーです。

■中央大学少林寺拳法部の盟友で、現在はラスベガスに住んでいる上林修君の案内で、平成24年には9回目の訪米、モニュメントバレーは2度目の訪問でした。
彼の車で砂漠の中を時速140㎞でぶっ飛ばす、この間の風景も素晴らしい。但し、風景が変わらないので直ぐに飽きる。

この時は初めて現地のホテルに泊まり、素晴らしい夕陽、朝日を眺める事ができ、その上憧れであった西部のカウボーイのように乗馬体験もできました。

■ここら辺はインディアンの居留区です。彼らは保護されてのんびりと暮らしております。私も仲間に入りたいと真剣に思いましたね。

■平成25年の旅の様子は、こちらでご紹介しています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三線

◆たびたび訪れる沖縄で、三線(サンシン)を習ってきました。

◆三味線には興味はもっていましたが、習う機会はありませんでした。何度目かの沖縄旅行の際に飾ってあった三線をなにげなく弾いたら、その音が心に響き、次の沖縄訪問は三線を習う目的のみで行きました。
◆師匠は具志頭村の桃原(とうばると読む)先生、三線の製作者でもあり、三線教室の先生でもあります。
この先生の仕事場の近くの民宿に泊り込み、前から好きだった、「十九の春」「安里屋ユンタ」の2曲を3日でマスターしました。現在は十曲ほどマスターしております。

◆三線はさおの材質によって値段が違い、高価なものは沖縄の黒檀で出来ており40万円くらいするそうですが、安いものは2~3万円からあります。
皮はニシキヘビの皮でしたが、破れやすいので最近は人工の皮を使うことが多いようです。音色はそれほど変わりません。

【三線とは】
*沖縄が琉球王国時代、中国から入ってきた三弦楽器が、少しづつ変わって今の三線となりました。
三弦楽器は、今から3~4千年前のエジプトに始まる古い歴史を持っています。
日本へは支那を経て入り、北上したものが日本の「三味線(しゃみせん)」となりました。

*沖縄は、戦争で多くのものを失いました。人々がこよなく愛する三線も、もちろんことどとく焼けてしまいました。
けれど捕虜として収容された人々は、収容所暮らしの中でも三線を楽しむ心を忘れず、「棹は米軍の野戦用ベットの廃材」「胴は、米軍支給の空き缶」「弦はパラシュ-トの紐、電話線」を使い、簡易的な「カンカラ三線」を作り上げ、弾き唱い踊り、戦後復興の心の支えとしたのです。
*それから60数年。三線の弦をつまびく時、沖縄の民謡を唱う時、遙か琉球王国の昔から困難な歴史を辿ったかの国から、強烈なメッセージが届くような気がします。

 

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